人生の最終段階-事例A (従事者視点エピソード)
膵臓がんの60代男性は、新薬の治験を受けたいと、わざわざ大学病院に転院してきました。しかし、治験の対象に選ばれず、標準的な抗がん剤治療を受けていました。あいにくそれも効かなくなり、主治医は積極的な治療の中止と、緩和医療を中心としたケアへの切り替えを勧めました。効果が期待できないのに抗がん剤治療を続ければ体力が奪われ、かえって死期を早めるだけです。 本人は頑として受け入れません。男性は、治験を実施中の病院を探して大学病院にたどり着いたほどで、十分に知識を蓄えていました。治療の効果と限界も理解しています。内心では、もうダメかと思っているはずです。でも「ほかに方法があるのではないか」と、藁をも摑もうとしました。 治療の中止を決断するのは「自分で自分の死を確定させる」と思うのかも知れません。病気に対して、何らかの対抗手段を講じていることで安心したいのでしょう。新たな治療法の発見にかけて少しでも延命したいと考える気持ちもわかります。 積極的な治療を中止し、緩和ケアに重点を置くことに誰しも一度では納得しません。主治医よりつきあいが長く、関係を作り上げているがん看護専門看護師が話すことが多くなります。1回目の面談は「もうあかん(薬が効かない)と言われても、困る。生き延びるために大学病院に来たんじゃないか」と30分ほど、怒りモードで終始しました。 1週間後の2回目は、結果として2時間ほど話しました。想像した以上に男性のやせ方が激しくて、残された時間は考えていたほど長くないと判断し、話のきっかけとして生活ぶりを聞きました。大学受験を控えた娘さんと二人暮らしだと話し始めました。「受験生に負担にならないようにしなければいけないのに、娘に料理を作ってもらっている」などとポツポツ話します。娘さんの話題が出るたびに、表情が緩むのです。 口調がしんみりとしてきました。「大変でしたね」「よく頑張りましたね」などと相づちを打ちながら話を進めていると、だんだん感情があらわになってきました。 「大学生になった娘をどうしても見たい。だから大学病院まで来たんじゃないですか」 最後に「娘は、ある水族館が大好きなんです。受験が終わったら、そこに連れていってやりたい。それまで、何としても生きていたい。少量でも抗がん剤を投与していれば、その間は生きていられるじゃないですか」と号泣しました。 やっと、彼が頑なに治療継続を望む核心が見えてきました。そこで「治療を続けると副作用で弱り、動けなくなる可能性があります。これまでの治療でよく理解していると思います。逆に、これまで、しばらく抗がん剤を休むと体調が回復したことがあったでしょう」 「確かに、体が楽になりました」 「娘さんとの旅行を優先するなら、積極的な治療はやめて、体調を整える道もありますよ」と説明すると、男性は驚いた顔をして「そんな考え方もあるのですか」と言いました。 治療を中止すると病状が一気に進んで、あっという間に死んでしまうと思っていたようです。こう考えるがん患者は、実はかなりの割合でいます。終末期ケアが始まって看取りまでの細かな状態の変化は、患者さんにとっては情報が少なくイメージが湧きにくいのでしょう。想定される経過を詳細に説明すると、男性はうなずいて聞いてくれました。 言葉ではうまく説明できませんが、このときの男性の表情は忘れられません。 私たち看護師は、こうした面談の際に感情を動かしてはいけません。ただ、最期まで積極的な治療にこだわり緩和ケアに重点を置くことを断固として拒んで亡くなっていく患者さんもいる中で、男性は考えを変え、積極的な治療の中止を選んでくれました。「よかった、間に合った」と安堵の気持ちが湧いたのは確かです。1人で治療に耐えることだけを考え、周りの支援を受けることが少なかったのかもしれません。その点では、看護する側として、男性へのソーシャル・サポートの見極めが甘かったと、反省しました。 男性は在宅医療と訪問看護に切り替え、痛みと、耐えがたい全身倦怠感の緩和に専念し、無事、旅行に出かけられたと後日報告がありました。 原作:朝日新聞デジタル それぞれの最終楽章『がん看護の現場で』より 京都大学大学院 田村恵子教授
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