第2回医療マンガ大賞開催決定

人生の最終段階-事例B (従事者視点エピソード)

 Oさんは、僕(小規模介護施設社長)が最も印象に残っている利用者の一人です。以前は大学受験予備校の名物講師だったそうです。一言で言うと「超わがままなおやじさん」でした。脳梗塞の後遺症で全身まひになり、左手が少し動く程度。移動は電動車いすで、介護スタッフのケアが常時必要でした。  スタッフたちは、頻繁に「救援コール」を受けました。連絡手段は、フェイスブックのメッセンジャーでした。うちの施設は団地に入っていて、Oさんも同じ団地に住んでいました。それもあって、1日に数え切れないほどの救援コールがありました。外出の際は「ドア開けて」と必ず連絡が来ました。夜中に「急にパクチーが食べたくなったから、買ってきて」と連絡が来たときもありました。ところが、スタッフがスーパーで買って持って行くと、「もう今は食べたくない」と拒否しました。  そのたびに駆けつけるのが、Kら3人の介護スタッフでした。Oさんは、人の好き嫌いが激しく、全く受け付けないスタッフもいました。実は僕自身も、「いちいちうるさいやつだ」と、途中で関係を切られてしまいました。  わがままなOさんでしたが、たくさんの友達がいました。予備校時代の教え子、大学時代のオーケストラ部の友達、行きつけだったカフェのスタッフ……。僕ら介護スタッフのことも「友人」と思っていたのでしょう。でも僕は「友達ではなく、あくまで介護保険上のケアなんだから、そこまでやる必要はないのでは」とスタッフたちに伝えました。何度も話し合いましたが、現場のスタッフたちは「ケアの延長線上かどうか、そのつど判断するから、できるところまでやらせてほしい」と言ってOさんにできるだけ付き添うようにしていました。  亡くなる1カ月ほど前、「ちょっと遠いけど、どうしても聴きたいオーケストラのコンサートがある」と言い出しました。最初は、友達がついて行くことになっていたのですが、直前にその友達が行けなくなってしまいました。あきらめると思ったら、「Kさんと行く!」。でもKは体調が悪くて行けない。急きょ別のスタッフに同行させました。  このときは一泊二日ということもあり「ケアの延長というより、個人の趣味」と判断してさすがに人件費をもらいました。でも本人に言うと「じゃあ行かない」とすねてしまいます。こっそりご家族に話して、了解を得ました。  衰弱が進むと、Kは仕事帰りに毎日、Oさんの部屋に寄りました。間もなく旅立ちました。Oさんは本当に超わがままでしたが、なぜか憎めない人でした。  従来の枠にとらわれないケアもある、という気付きを与えてくれた人でもありました。 原作:朝日新聞デジタル それぞれの最終楽章『団地で支える』より 株式会社ぐるんとびー 菅原健介社長

  • 受賞結果発表は、
    11月下旬を予定しています
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IRYO MANGA TAISHO