医療従事者視点エピソード

コロナ禍でのある施設 supported by 朝日新聞

 ある介護老人保健施設(老健)でクラスターが発生した。今でこそ経験に基づく知見もたまり、クラスター発生時の対応はわかってきているが、当時は2020年春、誰も彼も懸命に手探りだった。

 私は、自宅や介護施設にいる利用者を訪問し、必要な医療の提供を行う「在宅医」だ。感染症は専門外だが、支援に入る医者は他に誰もいなかった。依頼を受け支援に入ることを決めたが正直恐ろしかった。

 現地に入った初日、息苦しい気持ちでしばらく動けなくなるほどに愕然とした。これは防護服の息苦しさだけが理由ではない。施設の看護師は、誰も出勤できなくなっていた。理由は感染、濃厚接触だけではなく、家族の猛反対などもあったようだ。当時の状況からすれば無理もない。更に、勤務できる介護職員数はわずか5分の1になっていた。その人数で夜勤と日勤をこなす。自宅にも帰れず車の中で寝泊まりしていたものも多かった。介護施設はさながら孤独だった。メディア報道も含め、味方というか、理解してくれる人はほとんどいなく、本当につらかっただろう。ただ、施設職員は奮闘していた。私たちがどれほどのことをできたのかはわからないが、目に見える応援者が来た、という意味は介護施設にとって大きかったかもしれない。

 半月ほどたった頃に、大きな転機が訪れた。保健所が主体となり、現地対策本部を設置できた。強く印象に残っているのは、設置2日目の本部全体ミーティングだ。介護崩壊に陥るこの状況を脱するため、必要な入居者は一気に入院させようと関係者間で確認できた。保健所の職員や応援のDMAT(※1)、感染症研究所の先生などが施設に設置された対策本部に集まって、その日の午後数時間をかけて情報収集をし、家族に電話をし、入院調整にかけた。そして、数日のうちに入居者たちが入院していった。そこに参加しているメンバー全員が一つのミッションのために一斉に動き出し、それぞれの役割を果たしていく、誤解を恐れずに言うと、まるでドラマの出動シーンのようだった。そして状況は改善していった。

 今だから言えるが、感染症医でない私が、医師として役割を果たせるのだろうかと不安は尽きなかった。そんな私の支えになったのは知り合いの看護師からSNSで送られてきた「できないことを挙げればきりがない。できることを考えて行動する」という言葉だ。成すべきことをする。この言葉には今も支えられている。

 現在も続くコロナ禍。「在宅医」である私の重要な役割である穏やかな看取りを実現するため、置かれている状況を踏まえつつ、いままでやってきた必要なケアを続けている。全国の医療・介護従事者も同じ思いだろう。


(※1)災害急性期に活動できる機動性を持ったトレーニングを受けた医療チームのこと。「災害派遣医療チーム Disaster Medical Assistance Team」



原作:朝日新聞デジタル それぞれの最終楽章『コロナ禍で』より
静明館診療所 大友 宣医師

朝日新聞から

コメント

朝日新聞の別刷りbeでは「それぞれの最終楽章」という看取りの連載をずっとしています。このエピソードは、そこからピックアップしたものです。文字だけで見るのと違い、マンガにすると読者の方に、よりイメージがわきます。この原作エピソードが、マンガになったらどんなふうになるのか、いまから楽しみです。