人生の最終段階-事例A (患者視点エピソード)

 退職後、同じ会社に嘱託として勤め、責任から解放されてのんびり働いていた矢先、膵臓がんになりました。確かに2人に1人ががんにかかる時代だけど。  それからはネットや本で調べまくり、大学病院で新薬の治験が行われていることを知り、頼み込んで転院させてもらいました。でも、結局、対象には選ばれず、治験の基準が杓子定規で融通がきかないことも知りました。  ついに、主治医から「積極的な治療を中止し、緩和医療を中心としたケアへ切り替えましょう」と告げられました。意味は分かりますよ。数字は悪くなっているし。でも、納得できない。「治療を中止するのは絶対いやだ。治療をやめたら、死んじゃうじゃないか!」と大声で叫んでしまいました。医者相手に感情をむき出しにしたのは初めてです。  大学病院にいると、「新薬で助かった」、「あの先生が開発した療法で生きながらえている。1年前なら死んでいた」という声を実際に聞くのです。自分がその対象になる夢にかけて何が悪いのですか。  そのような中、何度目かの看護師との話し合いで、洗いざらい話すことになりました。それまで私生活を聞かれたことはなかったので、大学病院の人には誰にも話していなかったのですが、生活ぶりを聞かれたので、大切な娘の話を持ち出さざると得ませんでした。でも話していると、少し心が和らぐんですね。  看護師さんは「大変でしたね」「よく頑張りましたね」と聞いてくれました。それで、ついに感情が爆発してしまいました。  「大学生になった娘をどうしても見たい。だから大学病院まで来たんじゃないですか」  最後に「娘は、ある水族館が大好きなんです。受験が終わったら、そこに連れていってやりたい。それまで、何としても生きていたい。治療をしている間は生きていられるじゃないですか」と号泣してしまいました。  すると、ベテランのがん看護専門看護師は「受験を終えた娘さんとの旅行があなたを支えているのですね」と言い、「治療を続けると副作用で弱り、動けなくなる可能性があります。これまでの治療でそれはよく理解しているでしょう。逆に、これまで、しばらく抗がん剤を休むと体調が回復したことがあったでしょう」と聞くので「確かに、体が楽になりました」と答えました。  「娘さんとの旅行を優先するなら、積極的な治療をやめて体調を整える道もありますよ」と言うのです。  「えっ? そんな考えもあるのか」と思いました。  これまで治療に耐えることだけに注意が向き、症状緩和を目的にしたケアを中心にすることをできるだけ考えないようにしていました。でも、もう治療の段階ではないんだな、これまで考えまいとして避けてきた自分の死を受け入れるしかないと思いました。うまく言葉が出ません。唇は震えていたと思います。悲しいというより避けがたい事実がどんどん迫ってきた感覚です。  この話し合いから気持ちを切り替え、退院して在宅医療と訪問看護に替え、痛みと全身倦怠感をコントロールしてもらって、無事、娘と水族館に出かけることができました。その2週間後、最期に見たのは娘の泣き顔。聞こえてきたのは「ありがとう、お父さん」の声でした。 原作:朝日新聞デジタル それぞれの最終楽章『がん看護の現場で』より 京都大学大学院 田村恵子教授

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医療の視点 YOKOHAMA

「医療への視点が少し変わることで、異なる気づきが得られ、行動につながる」をコンセプトに2018年10月から取組をスタートしています。民間企業等との連携や、市民の皆様の関心事にフォーカスすることで、より印象に残りやすく、伝わりやすい広報に様々な切り口で取り組んでいます。

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