修理淳(以下、修理): 自治体は住民の生活を支えるために様々な施策を打ちます。医療政策もその一つで、がん検診や地域医療連携、在宅医療など多岐にわたります。休日診療や小児医療などもありますね。それを住民の皆さんに広く知らせる、つまり広報する必要があります。
しかしこれまでは、部署ごとに予算があり施策もバラバラ。パンフレットやポスター、WEBサイトなど、手法も旧来のものを踏襲するにとどまっていました。これでは砂に水をまくようなもので、本当に必要な方に届いているのか検証もできません。「本当にそれでいいのだろうか」という疑問をずっと抱いていました。
佐渡島庸平(以下、佐渡島):確かに、僕も自治体の医療情報はわかりにくいなと思った経験があります。都内で別の区に引っ越したとき、子どもの医療制度の違いを調べてみたんですが、何がどう違うのか、すぐには理解できませんでした。
修理:市民アンケートをとっても、市政としての医療は「満足」ではなく「もっと要望がある」というほうで上位に挙がっています。横浜市の医療水準は高いという自負はありますが、たとえば大病院で待ち時間が長く診療時間が短いという不満に対して、「まずはかかりつけ医を持ちましょう」という地域医療のありかたを冊子にして配っても、それだけで納得していただくのは難しい。
そこで、コミュニケーションの専門家とタッグを組んで、ちゃんと相手方に届く啓発活動に挑戦することにしたのです。それが「医療の視点」プロジェクトです。その一環として、佐渡島さん、そしてマンガコミュニティ「コミチ」と一緒に「医療マンガ大賞」に取り組むことになりました。
佐渡島:今回、横浜市が独自に広報の取組を始めたのは、全国で見てもかなり珍しいケースではないかと思います。
今、全国的な課題として、国がバックアップして地方創生を進めていますが、やはり与えられた課題意識だけでは本当の変革は起こらない。横浜市が医療広報を、みずからの予算で取り組もうと思ったこと自体がまさに地方創生で。自治体の自主性というものが芽生えてきている素晴らしい兆しの一つだと感じました。
佐渡島:今、横浜市が特に広報したいと思うことは、どんなことですか。
修理:ひとつ、大きな課題として挙げられるのが「2025年問題」です。2025年、日本の人口のボリュームゾーンである団塊の世代が75歳以上の後期高齢者になります。
生涯でかかる医療費の半分は70歳以上で使われます。高齢化に伴って医療ニーズは加速度的に増大していきます。このままいくと、いずれ医療の需要と供給のバランスが崩れるのは必然です。特に横浜市では、今後、他の自治体を上回るスピードで超高齢化が進むことが見込まれているのです。
かといって医療資源だけを無限に増やしていくのは、現実的には難しいです。そんな中、たとえば大病院に患者が殺到して医療が崩壊するような事態は避けなければなりません。限りある医療資源を活用し、市民が安心して満足のいく医療を受けるためには、医療を提供する側の努力だけでは限界があります。市民一人ひとりが行動を変える必要がある。自治体が市民の皆さまにメッセージを発信していかなければならないと考えています。ただ、これがなかなか難しいのです。
佐渡島:そもそも「大学病院に行くことが、必ずしもベストの治療を受けることとは限らない」という医療関係者にとっての常識が、世間の多くの人にとっては常識ではないですからね。かかりつけ医を持ちましょうというメッセージを発信したところで、「病気を見逃されたらどうしよう」と不安に思う人は、最初から大学病院に行ってしまう。
修理:医療、行政、市民それぞれの視点が違うんですよね。不安な気持ちを無視して、ただ情報を発信しているだけではダメで、市民の皆さまには医療の現状と将来を理解いただいたうえで、どう行動していってほしいのか、こちらからお願いしていく必要があります。ちゃんと相手方に届いて納得していただけるというところまで広報を突き詰めていきたいと考えています。
佐渡島:なるほど。先日、「耳で聴く」ことについて、感銘を受けた話があります。
音楽を聴くときにスピーカーから出てくる音は、ほとんどの場合が「耳が拾いに行っている」状態。ところが最高の品質のスピーカー、最高の環境を用意すると、音はひとりでに耳に届いてくるのだそうです。そして耳に届いてくる音は、感動の度合いもまったく違うものなのだと。
これは広報にも言えることだと思うんです。これまで公共の広報は、情報がとある場所に置いてあって、必要だと思う人が取りに来るものだった。今は世の中に情報が無限といってもいいほどあふれていますから、ただ置いておくだけでなく、知ってほしい相手に必然的に届くようなコミュニケーションを考えていく必要があります。それが本当の広報のありかたなのではないでしょうか。
修理:医療情報が、必要な人にきちんと届くようにするのは簡単なことではないと感じています。病気になるとインターネットで調べる方も多いですが、なかなか満足のいく情報にたどり着けないという声をよく聞くんですね。信頼性の低い情報に妨げられることもあれば、たとえ正しい情報だったとしても「知りたいことはこういうことじゃない」と、結局どうすれば良いかわからなくなることもあるそうです。
佐渡島:常々思うのですが、文字にできる情報というのは限られているのではないでしょうか。最近うちの子どもを見ていると、フラフープのやりかたでも速い走りかたでも、調べものはなんでもYouTubeなんですよ。それもそうです、フラフープをどうやって回せるか、文章だけで説明するのはすごく難しいですからね。
医療も同じで、がんがどうしてできるのか、がん細胞はどうやって増殖していくのかを文章で説明することはできます。でもがんになって不安なときに、どうやって医師や病院を選べばいいのかという悩みや、その解決の道筋を簡潔に言語化するのはすごく難しい。
修理:米国では、たとえば疾患別の手術の成功率や治療成績などをオフィシャルに出していますが、それが一概に良いとは言えません。日本でも、よく雑誌で病院ランキングなどを見かけますが、医療関係者から見ると違和感があることもしばしばです。医療者と市民の視点が違っていて、それぞれの立場から語るだけではコミュニケーションの齟齬が埋められないことを痛感します。
佐渡島:それに、知ってもらうだけでは足りないですよね。市民に横浜市の医療の現状と将来を知ってもらうだけでは、行動は変わらないのではないですか。
修理:その通りです。行動変容まで実現するコミュニケーションは本当に難しいと思います。
佐渡島:医療者や行政と市民の視点の乖離も問題の一つですが、そもそものズレとして、医療情報を伝える立場は、正しい医療情報という“論理”に立脚して話すのに、受け止める患者にとってみれば、論理の前に、不安をはじめとする“感情”が前面にあるんです。
たとえば将来的に病床が足りなくなるから在宅医療にしましょうというのは、論理的には正しい。でもその情報だけを伝えられたら、市民からしてみれば「だったら作ればいいのに」「私たちに我慢しろというの?」という不安、そして怒りに転じます。
感情に対して論理で詰めても反発しか起こらないので、どうやって感情を動かしていくかを考えていくべきだと思います。
修理:おっしゃるとおりですね。私は今回、マンガというわかりやすい表現を通じて、医療に関して、市民、医療者、行政といった様々な異なる視点を伝えることができることを期待しています。さらに「感情を動かしていく」力がマンガにはありそうですね。
佐渡島:マンガは読みやすいので、とっつきにくい、理解しづらい情報を整理するという点だけでもすごく役立つメディアです。でもさらに「面白いマンガ」というところまでコンテンツの質を高めていこうと考えたとき、どういうときに人は面白いと思うかというと、それは「感情を動かされたとき」なんです。
私がマンガを編集するときに最も大事にすることは、どうやって読者の感情を動かすかということで、情報はその次です。コンテンツの世界観において、情報の価値が2番目、3番目というのが、実は最も情報を伝えられるのではないかと考えています。単なる情報そのものには、人は興味がないですからね。
修理:人の感情を動かすことで「面白い」と思ってもらい、コンテンツに没入してもらった結果として情報がインストールされるのですね。
マンガやドラマの影響はやはり大きいですよね。たとえば看取りの場面も、昭和のころは自宅で親族に囲まれて……というシーンも多かったですが、平成ではほぼ、病院のベッドで迎えています。それがある意味スタンダードだと無意識に浸透するわけです。
マンガを通じて様々な医療への向き合いかたを示すことで、いざ自分が医療が必要な場面に遭遇したときの選択も広がりが生まれるのではないかと思います。
佐渡島:昔の医療マンガ、たとえばブラックジャックでいうと彼は天才外科医で、全範囲の治療ができます。それはやはり当時のスタンダードを踏襲したマンガなんですよね。今は専門も細かく分かれていますし、さらに言えば、がんという一つの病気であってもかなりのパターンがあります。
これからの医療マンガも、たとえば「がん専門マンガ」として様々ながん患者さんのありかたを見せていくなど、より細分化して、個別のパターンに寄り添うような発展をしていくんじゃないかと予想しています。
修理:日本のマンガは非常にレベルが高いので、いろいろな視点で事象を捉えたマンガとして見せていくことで、老若男女幅広く情報が伝わっていくことを期待しています。
佐渡島:今回、横浜市という自治体が、マンガとSNSという手法を活用してコミュニケーションを行うのは、あまり他に例を見ないユニークな取組だと思います。そもそも修理局長という行政組織の一員が、こうやって対談に登場すること自体、画期的ですね。
多様化がうたわれるこの時代、いろいろなジャンルで個人が自身の価値観を明確に表明しながら仕事をしています。自治体は公共サービスとして、これまではある意味、「顔」を隠していたわけですが、個人の価値観も幸せもひとつの尺度で測れない今、行政だからと逃げることには疑問を感じます。
これだけ無数にメディアがひしめきあっている今、そこに人の顔が見えない限り、もはや情報は伝わらないだろうと思っています。僕たち編集者も同じで、かつては表に出ない仕事でした。それで済んでいたのは、メディアが今よりずっと少なかった時代のことです。
「論理」よりも「感情への寄り添い」が重要になっている医療情報においては、とりわけ人の顔を隠したままではダメです。感情は絶対に、人から人にしか伝わらないですから。
修理:そう言っていただけるとありがたいです。出てきて良かったです(笑)。
医療マンガ大賞でも、読者の感情を動かすようなマンガが生まれ、市民の皆さまが医療について考えるきっかけとなって、新しい医療広報の形が生まれればと期待しています。
佐渡島:マンガが単にマンガ誌に載っているのではなく、グルメマンガはグルメメディアに、医療マンガは医療メディアに載るというように分化していったほうが、より質の高いマンガが生まれてマンガ界の発展にもつながると思っています。今回のようなかたちで、医療関係者が医療マンガを応援してくれるというのは、マンガのありかた自体も変えていく面白い試みだと思います。僕も楽しみです。